(1)植民地近代の記憶

スユノモの思想運動について

------「共同体」ではなく


(1)植民地近代の記憶

 9月例会でスユノモについて若干の報告をしましたが、不十分な点やいい足りなかった点がかなりありました。とりわけ、スユノモという思想運動をどのように見るかという問題は大きすぎてなかなか理解が困難です。例会報告では、スユノモは「共同体」と名乗っているにもかかわらず、私は「共同体」ではないと判断しました。じゃあ、何なのだと言われるとことばがなかなか見つからないので、これからそこらを中心に考えていこうと思っています。

 スユノモの思想運動が、いわゆるポストモダンの思想潮流の影響下に産まれたことは間違いないですが、そこで議論されているポストモダンは日本で流通しているポストモダンへの批判的視線とは大きくずれていると考えます。
 私たちが「近代」をイメージしたとき、どんな姿を思い浮かべるのか、人によって違うのでしょうが、日本の近代化に批判的な人であっても、もしくはその先の革命を目指してきた人であっても、「近代」は民主主義や進歩や産業化などをかさねて、前代に比べたら肯定される時代としてイメージされてきたのではないでしょうか。西欧においても同様に、「近代」は現在の繁栄に直接つながる肯定的時代として、人びとはイメージしてきただろうと思います。日本での近代のイメージはこの西欧の近代イメージのコピーと言ってもいいかもしれません。
 ポストモダンと人がいうとき「いや、近代は未完なのだ。ポストモダンという軽薄な言辞で時代を見失ってはいけない」といった反撃がかえってきて、流行的言辞としてのポストモダンはファッションの世界のことばに限定されていったりもしました。
 では、韓国での「近代」イメージはどうなのでしょう。おそらく日本や西欧と大きく違っているでしょう。なぜなら、韓国の近代は、日本の植民地支配の時代であり、開発独裁の時代経験を経てきたからです。つい最近の民主化闘争で勝ち取ってきた「近代」がそれに続いているとしても、韓国の「近代」は日本のように明るくはない筈です。こうした時代経験は日本以外のアジア諸国に共通する時代経験です。
 さらに、西欧近代というものはアジアやアフリカ、ラテンアメリカの植民地支配と不可分に結びついてきたし、直接的な植民地支配の後でも、植民地主義的な思想が生きながらえ、形を変えて西欧思想やその影響下の日本にも広がり、現実の政治過程のなかでも再生産されていることは確認するまでもありません。近代が植民地支配(思想)と不可分だとすれば、「近代」は克服されるべきだと、とりわけ韓国やアジア諸国で考えられたたとしても不思議ではありません。日本の近代主義者のように、「近代」を後生大事に守るべきものと考えないだろうということは想像できましょう。
 そうであれば、スユノモの思想運動を、ポストモダンの流行思想にかぶれた知識人のハヤリとして片付けるとしたら、それは「日本」の「近代」を無自覚に内在化した発想でしかありません。
 さて、近代学校に対するイメージが、日本ではおおむね肯定的であることは言うまでもないでしょう。しかし韓国での近代学校に対するイメージも同様に肯定的だと考えるのはまちがっていましょう。日本の植民地支配下での日本語強制、独裁政権下での反共教育などを思いうかべれば容易に想像ができましょう。
 現在の教育や学校についての私たちの議論と、スユノモの「教育」への視線がかなりな程度ずれるだろうということは想像に難くありません。もちろん教育制度の基本は大きくちがっていませんし、現実に抱える問題も似たようなところもありましょう。近代学校批判にしても、私たちと共有できるところは多くあります。
 しかし、私が感じたのは、「近代学校」にたいする根底的な批判、というより「近代」脱却への深い思いが、「教育」は主題化するに値しないのではないかという感性となって出てきたように思うのです。
 だとすればスユノモを教育運動として位置づけて、そこから私たちが教育運動として学ぶ物はなんであるのか、というスタンスで接近するのは少々お門違いだったのではないかと思われたのでした。「教育」や「学校」を主題化し、それを中心にあれこれ考察し運動するというのは、すでにして無効でないとしても、的を外してしまう、そういう時代状況を私たちは読み取る必要があるのではないでしょうか。学校はすでにして社会と境界が不明になってしまっています。社会の学校化の果てに、学校の社会化が目の前にあるのです。学校や教育を他と区分して考察するという「学」の境界自体が現実の事態によって無効になってきているのではないでしょうか。言うまでもないことですが、様々な個別研究がダメだというのではありません。それが中心なのか、ということです。目下の要請に答えることになるのか、ということです。
 そういう意味で、スユノモ訪問は私にとって、なにをこそ考え行動すべきなのか、という方向性を考えさせてくれる訪問でありました。スユノモは「共同体」ではないとすれば、いったい何なのか、という課題を私はこれから、少しづつ考えていこうと思っています。

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