「スユノモのメンバーは議論をしていなかった」と言う印象を受けました。あちこちで勉強をしたり、談笑をしたりしていましたが激論を交わしたり論争をしたりしているような雰囲気は感じられませんでした。
スユノモにいた期間はごくわずかであるし、いわば客人ですから、○○ということはスユノモにはなかった、という言い方はほとんど想像の域を超えない報告になってしまうのですが、論理的に考えると、確かに議論をしていないのです。
高美淑さんにはお会いできていないのですが、この方がスユノモのルール(「痕跡を残すな」など)が守れていないとき雷を落とすらしいですが、それは議論ではないわけです。勉強をしている共同体なのだから、さぞかしまじめに議論をし厳格に共同体の方針を決めているだろうとおもうのですが、どうもそういう感じではないのです。高美淑さんは書いています。
そういえば、私たちが訪れて、報告などをしてときも、スユノモの人たちは話し合いの中で、よく笑っていました。
運動団体などからスユノモはどう見られていたか、今政肇さん(スユノモのメンバーで、通訳をしてくれた方でした)はこう書いています。「運動圏の一部からは社会運動よりも仲間うちだけで楽しく生活しつつ知識を弄んでいる奴らと見られることがあったようである。」(「歩きながら問う」)と。
ところがそういうスユノモが移住労働者の滞在・労働権闘争、障害者の移動権闘争、韓米FAT阻止闘争の運動に接続していく。普通、こうした「運動」に連なるときには「組織内」で議論を尽くして「決定」に至るものでしょう。ところがそういう運動への接続は「縁」なのだとコ・ビョングオン氏はいい、今までなぜやらなかったのかという今政氏の問いかけにイ・ジンギョン氏はコミューンの運営で手一杯で余裕がなかったから、と答えたといいます。
つまり、誰かが提起して組織内議論をして、あるいは「運動すべきだ」という倫理観で、社会問題・政治問題にコミットする、という通常の進歩的・革新的組織のありようとはぜんぜん違うわけです。ですから、セマングム反干拓闘争などの闘争としてスユノモが取り組んだ、セマングム干潟からソウルまでの400キロを歩く「大長征」へのスユノモのメンバーの参加形態は、それぞれの自由だったわけです。そこには左翼組織が持っていた参加メンバーへの組織統制のもつ致命的欠陥を乗り越えようとする慎重な思考があったのです。そうした「運動」をしていてもスユノモは運動団体ではない、研究者の共同体だと今政さんは言います。
日本のサークルや運動体では、サークル・同好会なのか、運動体なのか、という「議論」を倦むことなく「議論」して果てがなかったでしょう。ちょっと「運動」的なことを誰かが言ったりすると、サークルが好きな人が警戒して「運動体にしてはならない」と反発したり、サークルを「運動体」にしようと方針提起して、賛同者が多数になれば運動体にできると思って「理論闘争」に熱を上げたりする。そういうことをスユノモは慎重に回避してきたわけでしょう。
そうしたスユノモのありようのなかに「決して議論をしてはならない」というドゥルーズの声が反響しているように思うのです。
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