Tags

関連資料(1)研究空間「スユ+ノモ」と近代学校

2009年3月に研究空間「スユ+ノモ」を訪問したとき、そこで報告したものです。

-----------------------------

研究空間「スユ+ノモ」と近代学校

北爪道夫



 私たちの研究会は「教育解放研究会」と言っていたときがありました。今でも会報は「教育解放」という名称です。教育はすぐれて「近代性」を帯びていますから、そこからの「解放」を名乗る日本の小さなサークルが、近代性からの実践的逃走を企てている「研究空間スユ+ノモ」に吸い寄せられてここに来ているのは、必然のことかもしれません。

 「教育解放研究会」という名称の前は「北摂解放教育研究会」という名でした。北摂は大阪の北の方を指す地名です。解放教育は1970年前後の時代に公教育のなかで差別にさらされている人びとの教育権を保障する教員たちの運動でした。今日「人権教育」と言われているのは、この民間教育運動を国家および既成の教育学が取り込んだ形態です。解放教育には、教育の近代性を超えるような思想的な芽がありました。近代学校の「近代性」を問題化した教師たちの運動でした。私たちの研究会も公教育内で「周辺」に立ちながらそこを変えていく教員のサークルでした。そこから近代学校の「近代性」そのものを問題化する方向に行きました。1970年代の前半には、解放教育ばかりでなくイリッチの「脱学校の社会」に影響されていました。イリッチは「教育」という価値の過剰な制度化によって、学校が「教育」という価値そのものに逆らっていくと主張しました。それは学校現場の実感でもあったのですが、既存の教育学や教育者は、この自己否定的なテーゼに同意しませんでした。

 「教育解放研究会」は『学校のことば 教師のことば』を1994年に出版します。これは学校の教師たちが日常の活動でよく使うことばを、日常的な=非教師的な感覚で解析しようとするものでした。こうした作業を勇気づけたり、促してくれたのがドゥルーズの『差異と反復』でした。この難解な本をちゃんと読めていたかどうかは別として、「第三章 思考のイマージュ」から私たちは近代学校の根源的な思想的批判を読み取ろうとしました。この中でドゥルーズは「知ること」と「学ぶこと」を峻別していました。「〈知る〉とは、概念の一般性、あるいは解決の規則の平穏な所有だけを指示している」のにたいして「学ぶ者は、一方において、実践的な問題や思弁的な問題を、問題としての限りにおいて構成し、それらにエネルギーを備給するものである」(『差異と反復』邦訳 P.253)と。

 学校で使う教科書は、要領よく「知る」ために「知」を階層的に配置しています。学会の「知的」秩序感もおおよそこのような知の階層秩序を反映していましょう。より高度な「知」に至るためには、先行研究を踏まえなければ、高い「知」には至らないと。この発想では「学び」は「知ること」に従属しています。すでに知られた多くの知識の獲得の先に「学び」はあると。「学び」は「知ること」の下位概念にされています。近代学校はこのような「知」の階層秩序を習得する組織です。しかしドゥルーズが示したのは「学び」はそうした知の階層秩序には属していないということでした。近代学校は「知る」ために組織されていますが、「学び」が生じるようには組織されていないのです。

 「スユ+ノモ」の講学院で、ドゥルーズの『差異と反復』の勉強が始まるというアナウンスがHPにのっています。ここでの読み方はたとえば『差異と反復』を哲学史の中に位置づけるといったようなものでないことは案内だけでもよくわかります。それぞれの経験や実践的な関心のなかで読み込む修行のなかで、集合的身体が「学び」を生み出していく、というもののように思われます。ここが近代学校を超えていく「スユ+ノモ」の核心なのではないかと思っています。

 韓国映画「Mr.ソクラテス」(2005年)はアクション映画ということになっていますが、これは近代学校の「教養」を戯画的に描いたと言うより、「教養」が特異性や生と直接結びつくことによって、「知識」あったはずの「教養」が「学び」を生成してしまうというふうに理解できます。この映画は「学び」の生命力への賛歌なのかもしれません。

 しかし、このような「学び方」は近代学校以前に確実に人びとの中に生きていた学びなのではないでしょうか。儒学や仏教の「修行」は「知ること」ではなく「学ぶこと」だったと思います。ことわざや格言は、人びとが生活のなかで、生活の中に読み込まれることを促す「反知識」だったのかもしれません。

 日本の近代学校が始まる前には寺子屋とか私塾などがたくさんありました。そこでは読み書きそろばんや儒学の教典の素読などが行われていました。韓国の書堂とよく似ているのではないでしょうか。1972年近代学校制度が取り入れられて、寺子屋や私塾は国家によってつぶされたり「近代学校」に吸収されたことになっています。しかしいくらかは明治の中頃まで生きのびていました。聞きかじりですが、日帝の支配下で韓国でも近代学校が押しつけられますが、書堂は日帝の支配末期でも3000も残っていたと言います。こうした「学びの伝統」と「スユ+ノモ」のスタイルは無関係とは思われないのですがいかがでしょうか。


 次に、私は、上記の「学び」スタイルにならって、「研究空間スユ+ノモ」に、近代学校の「近代性」を超え出る〈学校〉を強引に読み取ってみたいと思います。教典は『歩きながら問う』だけですが。

研究空間「スユ+ノモ」と学校の同一性と違いを考えてみます。

 私は長いあいだ、日本の高等学校で教員をしてきました。私が小学生や中学生だったころとちがって、学校には通うべきだと思っていても学校に行けない子どもたちが増えてきました。こうした「不登校」生徒だけではなく、学校に来ている生徒でも特別な理由もなく休んだり、学校に来ても教室に入れない生徒もいます。家庭のなかの部屋にとじこもって外に出ない「ひきこもり」も社会問題になっています。こうした現象は個人の「病理」として往々処理されています。しかしこれは近代学校がもってきた子供の「社会化」機能の衰退です。子どもたちが「家族」の外で他者とコミュニケーションを成立させていく力を学校は養成することができなくなってきているということです。

 人と人の対話・葛藤・対立は共同的なモノやコトを介して生まれてきます。完全に私的なモノやコトがあるとは思えませんが、コミュニケーションはそうしたものからは生まれません。いわゆる「荒れている」日本の高等学校で、授業中に自分の机の上に化粧品をならべてて化粧をしている生徒がいたりします。自分の私有物を学校の机の上にならべることでいわば自分の場所を作っているのです。親しい友達同士で机を並べることも「私的」環境を作ることで、学校に自分の居場所を作っているのです。彼・彼女たちは学校行事などに感心は薄いですが、私的なつながりでむすびついて「公的」な行事を積極的にやったりはします。

 ところで、近代学校の成立時に学校に「私的なモノやコト」はあったでしょうか? その時代には「家庭」のなかにも今日私たちがイメージする意味での「私有物」はあったでしょうか? 共同で使うモノやいっしょに楽しむ行事ばかりが目立っていましょう。豊かでなかったから、モノがたくさんなかったからなのでしょうが、私的なモノやコトが増えるにつれて「近代学校」は追い詰められてきます。

 机・椅子・黒板・さまざまな教材・パソコンなどの教具・実験実習の機器など、学校にあるモノはほとんど共同で使用するモノです。ですからいつでも使えるように使った後はちゃんと元に戻して整理しておく必要があります。「スユ+ノモ」のHPに「掃除をしましょう」という項目があります。学校と違って「住む」機能をもっている空間であるがゆえに、細心の注意をはらって「私的場所」の侵入を防いでいます。ここにあるすべては学校と同じように共同のモノなのです。共同で「住む」空間には私的な「痕跡」をのこさない。

 韓国映画「我が心のオルガン」(1999年)は1960年代の江原道の山里の小学校の日常を描いた作品だそうですが、その映画では、子どもたちが一斉に並んで廊下みがきをするところが出てきていました。韓国でも日本でもこのような風景は過去のものとなっていましょう。「我が心のオルガン」の映像では、教室と廊下の間のガラス窓は透明なガラスが上で、下がスリガラスでした。廊下から教室は歩きながら見えないこともない、教室から廊下を通った人が誰なのか注意を払えばわかる。そういう教室と廊下の関係が絶妙なタッチで描かれていました。昔の校舎における教室の内と外の関係は、単純に閉鎖かオープンかという二分法では測れない微妙な関係を表現できていたのです。日本では廊下と教室の境界がないオープン教室が新しいこころみとしてもてはやされたりしています。

 生成する共同の空間は、日本では寺子屋とか私塾が、韓国ではおそらく書堂が持っていた特有のものではないかと考えています。そこでは「住む」ことと「学ぶこと」が一体化していました。近代学校は「住むこと」を「学ぶこと」から剥離していきます。住むことに伴う所有物は「私物」とは分けて考える必要がありましょう。着ている服は家族が洗ったり、似合うとか似合わないとかいってある種共同性を獲得していましょう。

 日本の学校では「私物を学校に持ち込んではならない」と生徒たちに言います。勉強と関係ないCDや漫画や雑誌など「教育的」でない私有物は「学校」で共同性を獲得できないモノとされます。携帯電話などは、学校の外とその所有者の共同性をあからさまに表示していますから、学校は携帯電話というモノと親和性を持たないのです。

 このような「私物」を排除したとき、学校は共同性を担うものとして教室、廊下、机、黒板、掲示板など「学校のモノ」に頼るしかなくなります。共同のモノを使うしかない場所としての学校は、そうした状況を維持することで、モノの共有を通したコミュニケーションの生成を確保していたのだといえるのかもしれませんが、共同性を形成するモノとしての性格をそれらはますます持たなくなってきましょう。服のように住むことにともなう「小さな共同性を担った私物」は学校が住むところでなくなるにつれて学校から遠ざかっていきます。制服は学校という共同性が「小さな共同性を担った私物」を見えなくさせる装置でした。

 「スユ+ノモ」が私有物とその感覚をコンミューンを危機にさらすモノとみるのは了解できるところです。近代学校は個人消費のための私物の氾濫侵入のなかでその共同体への夢さえ破壊されてきたからです。しかしながら、スユ+ノモの台所にある食器、本棚にある本、テーブルなどなどは学校のなかにある「公共物」のようにもはやコミュニケーションを誘発しなくなったモノではないのだろうと推察します。誰々さんからの「贈り物」としての、固有名をおびた共通のモノなのだろうと思います。いわば「小さな私性をもった共同性」がそこにあるのではないでしょうか。『歩きながら問う』を読んだ限りでの私の理解でしかありませんが、スユ+ノモが近代学校の終わりのその先を私たちに示唆するものの一つがそこにあるように思います。











Comments

/groups/1bc26/search/index.rss?sort=modifiedDate&sortDirection=reverse&tag=スユノモの思想運動についてlist/groups/1bc26/search/?sort=modifiedDate&sortDirection=reverse&tag=スユノモの思想運動についてスユノモの思想運動についてCustomTagSidebarCustomTagSidebar?sort=modifiedDate&sortDirection=reverse&tag=スユノモの思想運動について0/groups/1bc26/sidebar/CustomTagSidebarmodifiedDate5CustomTagSidebarreverseスユノモの思想運動についてスユノモの思想運動についてcustom/groups/1bc26/search/index.rss?tag=hotlist/groups/1bc26/search/?tag=hotWhat’s HotHotListHot!?tag=hot0/groups/1bc26/sidebar/HotListNo items tagged with hot.hot/groups/1bc26/search/index.rss?sort=modifiedDate&kind=all&sortDirection=reverse&excludePages=wiki/welcomelist/groups/1bc26/search/?sort=modifiedDate&kind=all&sortDirection=reverse&excludePages=wiki/welcomeRecent ChangesRecentChangesListUpdates?sort=modifiedDate&kind=all&sortDirection=reverse&excludePages=wiki/welcome0/groups/1bc26/sidebar/RecentChangesListmodifiedDateallRecent ChangesRecentChangesListUpdateswiki/welcomeNo recent changes.reverse5search